鎌倉古道は有事の際に武士が鎌倉に駆けつけるための道であり、結果としてそれは新田義貞が鎌倉を攻めるための道になった。前回の記事で訪ねた町田市に隣接する多摩市と、多摩川を渡った先の府中市には、新田義貞の軍と幕府軍が戦った古戦場がある。
霞ノ関南木戸柵跡(熊野神社)
今回も小田急線鶴川駅をスタート地点として、現代の鎌倉街道を北上、京王永山/小田急永山駅を過ぎたら乞田川沿いに進んで、まずやってきたのは熊野神社だ。

熊野神社は階段を上がった林の中にある静かな神社だが、今回のお目当ては神社とは別にある。鳥居をくぐってすぐのところにあるのが、それ。

これは、霞ノ関南木戸柵跡。1213年に鎌倉街道に設けられた関所「霞ノ関」の跡とされている。写真の丸柱は、もちろん再現したもの。
無名戦士の墓
鎌倉攻めとは逆に、熊野神社の前を通る鎌倉街道旧道を北上する。すぐに現れるのが—実はいったん素通りしてしまったが—「無名戦士の墓」だ。


「関戸の戦い」で命を落とした無名戦士の墓と伝えられている。

背後は宅地造成中だが、この無名戦士の墓は残るようだ。
関戸古戦場跡
無名戦士の墓からさらに旧道を進むと、すぐ先に関戸古戦場跡の碑がある。

新田義貞の軍は「関戸の戦い」で勝利して、そのままの勢いで鎌倉に攻め入る。そして関戸の戦いから1週間後には、鎌倉幕府は滅亡してしまう。
分倍河原古戦場跡
関戸古戦場跡のすぐ先で多摩川を渡った先は、気分良く走りたいのでちょっと遠回り。多摩川の左岸を少し走ってから「南通り」を進んでから、国鉄下河原線の廃線跡を活かした「下河原緑道」、そして「新田川緑道」と走りつないだ。
そして、現代の鎌倉街道が中央道をくぐるあたりに「分倍河原古戦場跡」がある。京王線の中河原駅と分倍河原駅の中間といったところか。

久米川から南下してきた新田義貞の軍は一度ここで幕府軍の迎撃により押し戻される。しかし翌日に逆転勝利して多摩川を越えた——って、南から北へ進むと時系列が逆でやっぱりややこしいな。
前回はブリヂストンの電動アシストクロスバイク(借り物)だったが、今回はSPECIALIZED(スペシャライズド)のMTB「CHISEL(チゼル)」が相棒(関連記事)。

片側3車線でたくさんの車両が行き交う現代の鎌倉街道は何度も通っているけれど、旧道を訪ねるのは初めて。関戸あたりの現道と旧道との間は100mも離れていないのに、旧道に入るだけでだいぶ静かな雰囲気になるのが印象的だった。
分倍河原古戦場〜霞ノ関南木戸柵跡は、徒歩でも気軽に訪ねることができる。分倍河原駅から京王永山/小田急永山駅までは、5kmちょっとだ。
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リンク: 多摩市と府中市の古戦場 | ライド | Strava
参考文献:『40代からの街道歩き《鎌倉街道編》』 街道歩き委員会 内田晃(著) 三省堂書店